平成29年度事業報告

2018年1月の記事一覧

講演会

平成30年1月16日(火)、県立桐生南高等学校において授業研究会に続き、文部科学省初等中等教育局教育課程課教科調査官、国立教育政策研究所教育課程研究センター研究開発部教育課程調査官の臼井 学先生を講師として、「高等学校芸術科(音楽)の授業づくり~今後の動向を見据えて~」という演台で講演をいただきました。



はじめに、研究授業や授業研究会を教師にとって有意義な学びの場とするための視点について触れたい。当然のことではあるが、研究授業において授業を行う教師は授業について勉強をし、それを糧に今後必ず伸びていくが、授業を行った教師だけの授業研究会にしてしまってはもったいない。例えば授業参観で、保護者は自分の子供を注意深く見ていることだろう。自分の子供の1時間の姿を見るのである。研究授業では、そのクラスに思い入れのある生徒はそこまでいないのが普通であるので、そこに参観する人たちはそのクラスの中で知っている人、つまりその指導者である教師に注目する傾向がある。しかし本来見るべきなのは生徒であり、生徒の姿を見たからこそ授業研究会で発言できることが増える。生徒の状況を見ることで、自分が普段授業を行っている時には行うことのできない生徒の見方をしてほしい。授業研究会においては、授業のねらいに基づいた内容が語られること、生徒の具体的姿が語られること、そして生徒の姿と教師の指導との関係が語られることが大切であり、「私だったらこうする」という代案の意見が出ることも必要である。


現行の学習指導要領での成果と課題は中教審の答申で次のように示されている。



 成果については日頃先生方が取り組んでこられ、充実してきていることであり、子供たちの様子を見ながら判断されている。先生方の努力の結果である。一方で、課題として挙げられていることは次のようなものであるが、その内容を見てみると今までも当然努力されているが、さらに充実するとよいとされていることである。


 現行の学習指導要領の要点としては、次のようなものが挙げられている。その中で注目したいことは、学習の「過程」を重視したという点である。音楽では当然最終的な結果も大切であり、そこに責任をもつ必要があるが、それと同時に一連の過程にも注目してほしいということである。最終的な結果に至るまで、指導者が生徒を引き上げていったのか、生徒と指導者とのやりとりや話合いがあったのかによって、ゴールに辿り着いた時の生徒の達成度が違う。スタートとゴールは一緒だが、指導者が導いていくことは何なのか、生徒に考えさせることは何なのか、その過程を授業づくりの中で大切にしてほしい。



 「音楽への関心・意欲・態度」「音楽表現の創意工夫」「音楽表現の技能」「鑑賞の能力」の4つの学力を伸ばしていくことにより、その上位の3つの学力である「基礎的な知識及び技能」「思考力・判断力・表現力等」「主体的に学習に取り組む態度」も身に付くことになることになる。それぞれの学力が様々に関連している。




 さらに、学年間・校種間の連続性や系統性を踏まえた授業実践について、指導事項の連続性や系統性を考えてほしい。学習指導要領は、学年が上がるにつれて質的、学力的に増えていくように記述されているが、高等学校の先生方は小・中学校の学習指導要領を確認してほしい。小学校の学習指導要領の目標に示されている児童の姿が、高校生で見られたとしても素晴らしいと思える。それは高等学校の学習指導要領の目標の中に、小学校や中学校の学習指導要領の目標も含まれているからである。授業が上手くいかないと感じた時など、高等学校以外の校種の学習指導要領などを参考にすると授業づくりのヒントとなる。目標の系統性や連続性は学習の過程に似ており、今の目の前の生徒と学習指導要領を対応させるという観点でも大切である。

新学習指導要領でも小・中・高等学校の連続性や方向性は出されており、その中でも「子供を主語とした授業観」に注目したい。



 中教審の答申に示されているこれらのことは、全て「子供」が主語である。子供の視点で授業を見直してほしい。他の研修で音楽以外の先生方に対して、学校の音楽の授業で身に付いた「音楽の力(学力)」について尋ねたことがある。残念ながら多くの先生方がすぐには思い浮かばなかったり、答えられなかったりした。ようやく出てきた答えも、リコーダーの運指であったり忍耐力であったり、今でも役に立っている力としてはあまり例が挙がらなかった。これは極端なものではあるが、芸術科(音楽)は本来このような力をつけるための教科ではない。

それは、授業が「教師」を主語にしてしまっているからである。「子供」を主語として「音楽の力(学力)」を尋ねた場合の答えはこうではないはずであり、少なくとも避けたいものである。「教師」が主語であると、教師がどのように教えるかを考えて授業で教える。「子供」が主語であれば、先に子供が何をどのように学ぶのかを考え、指導方法を考えることになる。子供の視点が次第に切り離れていくと、授業の考え方が方法論的、都合主義的になっていく。子供の視点が全くなくなってしまうと、授業が上手くいかないことを子供のせいにしてしまうこともある。子供を主語として考えていこうとした授業の捉え方が「アクティブ・ラーニング」の背景であり、そうした視点を今後意識してほしい。


 音楽科教育の構造について、現行の学習指導要領では音楽表現の創意工夫と音楽表現の技能を合わせて「表現の能力」と表されることもある。それに音楽への関心・意欲・態度と鑑賞の能力を合わせて、4つが評価規準として示されている。今後は表現や鑑賞といった領域ごとではなく、全ての活動の中でそれらが分けられることとなる。


教科の目標についても、現行の学習指導要領では、表現や鑑賞など音楽活動に関わる形で示されていたが、新学習指導要領では中教審の答申を踏まえ、(1)知識及び技能、(2)思考力・判断力・表現力等、(3)学びに向かう力、人間性等」の三つの柱で整理された。それに関連して、「アクティブ・ラーニング」という言葉の代わりに、「主体的・対話的で深い学び」という文言が中教審の答申でも使われてきているが、その趣旨を理解して授業改善を図ることに繋げたい。

「主体的・対話的で深い学び」は、元は「主体的」「対話的」「深い」学びというそれぞれ3つの言葉が組み合わさったものであり、関係性は対等である。前者2つが活動レベルで「深い学び」に向かうものという意識ではなく、この3つの学びそれぞれができるようにすることが大切である。「アクティブ・ラーニング」ということに関して触れれば、指導者がアクティブ・ラーナーになっているかどうかという視点が必要である。授業で生徒がグループ活動や討論を行ったかどうかではなく、教職のプロとして指導者がアクティブ・ラーナーとなることが求められる。「型」にとらわれて授業することはむしろ「アクティブ・ラーニング」の対極であり、子供の視点が消えることでもある。

「主体的な学び」とは、生徒自らが学びの見通しをもち、学びを振り返り、次の学びに繋げるといことである。それは学びのレベルの見通しであって、この授業で何を行うかといった活動レベルの見通しではない。「対話的な学び」とは、他者との対話などにより、自分の考えを広げたり深めたりすることである。「深い学び」とは、「音楽的な見方・考え方」を働かせながら、知識を相互に関連付けてより深く理解したり、情報を精査して考えを形成したり、問題を見出して解決策を考えたりするような学びである。深い学びにおいて、様々な活動や内容の例が示されているのは、教科の特性や本質に関わる学びであるからである。「深い学び」は教科の本質に迫り、向かっていくような学びということでもある。

中教審の答申で示されている「音楽的な見方・考え方」の説明の中の「音楽を形づくっている要素とその働きの視点で捉え」とは、そこにある音や音楽その音響そのものに目を向けるということであり、「自己のイメージや感情、生活や社会、伝統や文化などと関連付けること」とは、イメージや感情と結び付けて人間にとって意味のあるものにすることであり、それらに関わらせて考えるとその音楽の意味が分かる。それが深い学びへと繋がり、芸術科(音楽)の教科の本質に迫ることになる。「見方・考え方」を授業の中で繰り返し触れ、考えられるようにすると子供たちが成長していく。子供たちが将来、生活や社会の中の音や音楽、音楽文化と豊かに関わることを助けることに繋がっていくのである。そうしたことを意識しながら子供たちと関わっていってほしい。


参加者(敬称略・順不同)

廣澤 秀伸(前橋西)   上田 裕信(太田東)   大熊 信彦(太田女子)  荻野 葉子(大間々)

清水 郁代(二葉特)   臼井 学(文部科学省)  島田 聡(高校教育課)  朝倉 康雄(前橋西)

柳田絵美子(館林高特)  金田 知子(富岡東)   黒岩 伸枝(高崎)    根岸 玲恵(西邑楽)

大小原美幸(高高特)   前島 律子(あさひ特)  五十嵐桃子(長野原)   戸松 久美(吉井)

中畑 香映(太田女子)  森田 尚子(前橋東)   富岡 恵美(安中総合)  内林 美里(伊勢崎特)

松平 康子(尾瀬)    中澤 玲子(高崎北)   井上 春美(藤岡中央)  饗庭 麻里(市立太田)

鈴木香奈子(桐生南)   野口 瑞穂(大間々)   伴野 和章(太田東)   小川 唯佳(利根商業)

斎藤真里奈(沼田女子)  武井 康博(伊勢崎商業) 藤嶋 啓子(関学附)   勝山 英城(万場)

小川 良介(四ツ葉)   角田 幸枝(榛名)    東 喜峰(県立前橋)   青柳 亮(桐生女子)

目崎ちひろ(高高特)   伊藤 範秋(北海道・別海)  坂本 将(館林女子)

第3回授業研究会

 平成30年1月16日(火)、県立桐生南高等学校において普通科1年C組の生徒により音楽Ⅰ「ベートーヴェンからのメッセージ~「第九」の魅力を探ろう~」の鑑賞の授業が行われました。この日は午前中は授業研究会、午後は講演会という日程で開催されたため、講演会講師の文部科学省初等中等教育局教育課程課教科調査官、国立教育政策研究所教育課程研究センター研究開発部教育課程調査官の臼井学先生に講評をいただきました。


(1)授業説明(鈴木教諭)
 今回の授業で取り上げるベートーヴェン作曲の交響曲第9番、通称「第9」は非常に有名な曲であり、生徒もどこかで耳にしたことがあるだけではなく、平和や統一の象徴といった様々な文化的・歴史的背景が基になっているものである。音楽を形づくっている要素に着目しながら、ベートーヴェンがどのような思いやメッセージを伝えたかったのかを考えられるようにしたい。生徒の授業への取り組みは素直で真面目ではあるが、自分の意見の根拠を見つけないと自信をもって発言できない生徒も多い。指示をされたことはできるが、自分で考えながら自由に取り組む場面では、消極的になってしまう生徒もいる。本題材で扱うワークシートは4枚あり、本時では前時で記述した2枚目を基にしてエキスパート活動で3枚目を記述できるようにする。ジグソー法では、1人ではなかなか解決が難しい課題に対してエキスパートを養成し、そのエキスパートが調べたことや考えたことを組み合わせていくことで課題の解決を図るものである。本時は3時間目の授業であるが、前時の2時間目で既にエキスパート活動を行っている。第1~3楽章の主題の一部が第4楽章の冒頭に演奏されることに気付けるようにするために行った活動である。本時では、生徒それぞれがエキスパートとなって分かったことを各グループで発表し、その上で第4楽章の冒頭を鑑賞し、作曲者のどのような思いが込められているのかを考えられるようにしたい。本題材の最初の時間に作曲者からのメッセージを考えた時よりも、学習を通して生徒の考えがより深まるようにしていきたい。

(2)研究協議

研究授業を観る「研究協議の視点」を研究係が提示し、各グループで1~2つの視点を選びながら協議をする。

「研究協議の視点」

〇本時の目標は達成できていたか

〇課題の質やレベルは適切であったか

〇評価の計画は適切であったか

〇主体的・対話的で深い学びになっていたか



 ・ジグソー法が新しい手法で、指導する側も面白いと感じた。鑑賞領域だけでなく表現領域まで含めて様々な学習に生かせそうだと感じた。
・授業準備が素晴らしかった。ワークシートやスライドに楽譜があり、それらを見ながら聴くことができたのがとてもよかった。ICTの資料についても、今後も継続的に使っていけるものだと感じた。鈴木先生の準備と思いにより、生徒の主体的・対話的で深い学びが生まれていた。

 ・ステップを踏んだワークシートが分かりやすく、他の楽章と同じ作りになっているので理解しやすい。
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生徒だけで主体的・対話的な授業にするためにワークシートをどう利用し、その情報をどう整理して提示するかが大切だと感じた。
ジグソー法は思い返せば昔からやっていた手法であると感じたが、楽章ごとに部屋を分けて鑑賞し、グループワークをさせてエキスパートをつくるなど、今回はその内容が非常によかった。
音源の準備が充分なされ、聴かせたい部分だけをまとめて聴かせるのは思いきりがよく、スピード感もある。
・今回の教材については4楽章のみに焦点を当てがちではあるが、1~3楽章を聴くことで4楽章がより深まる。時間はかかるかもしれないが、ここまで深くできて素晴らしいと思う。また、授業者が細かくワークシートをチェックすることで生徒が自信をもって発表することができていた。



(3)指導・助言等  臼井 学 先生
 
音楽は鑑賞すればするほどその捉え方は変わっていき、学習が深まっていく。予めその音楽について知っている知識があったとしても、新たに気が付き、発見できることがある。それが音楽の聴き方の面白さである。鑑賞する音楽は変わらないが、聴いて受け取る側が変わっていき、そうして変わっていく自分が自覚できるメタ認知の経験の積み重ねが、音楽の学び方である。学習指導案には本時の授業の発問において、作曲者である「ベートーヴェン」を主語として記述されているが、授業者の意図としてはそれを「あなた」という生徒自身を主語に置き換えているということが伝わってくるものであった。鑑賞で感想等をまとめる活動では、例えば音楽を鑑賞しなかったとしても、作曲者の背景や音楽の構成などこれまで授業の中で指導された文字による情報で知り得た知識で記述できてしまうこともある。そうした知識を知った上で、生徒自身である「あなた」の聴き方はどのように変わったのかを考えられるようにしなければ、その音楽を他人事のように聴いてしまうことになる。作曲者「ベートーヴェン」からのメッセージだけではなく、それを受け取った結果として「あなた」はどのように考えるのかを最後に記述するというように、主語をそれぞれの学習場面に応じて選びながら発問していくということも大切である。授業展開においては、生徒が自分の鑑賞した楽章を1分ずつ他の生徒に説明するという場面でジグソー法が使われていたが、それを含めて後にその楽章を全体で鑑賞する場面までをジグソー法を取り入れた学習と考えるとよい。
最後に生徒が記述した意見を見ると、「歓喜」というものの質が変わっていくことが分かり、そこがこの授業の素晴らしい点である。冒頭でも述べたが、作曲者の背景などの情報を詳しく伝え過ぎてしまうと、そのことを基に感想を記述してしまう生徒や、それだけで終わってしまう生徒もいる。鑑賞した結果「あなた」はどのように考えるのかということを生徒が意識できるようにしてほしい。